2009年01月20日

豚丼と俺case

先日あったこと。
吉野家で一人で豚丼を食べていたら、背の高い黒人の男が店に入ってきた。
バイトの女の子が「いらっしゃいませー」と言い、カウンターの空いている席の部分をふきんで拭いたが、男は無言でその前を通り過ぎ、トイレに入っていった。
それを見て僕は、注文する前にトイレに行きたかったのかなと思っていたのだが、しばらくしてトイレから出てきたその男は、何も言わずそのまま店から出て行った。たぶんトイレに行きたかっただけなんだろう。
店員は何も言わなかったし、僕も何も言わなかった。店にいた他の客たちも全員、何も言わなかった。みんな無言で、自分の食物の方を向いているだけだった。

昔だったらこうは行かなかっただろう。戦前くらいまでであれば、客の中の誰かがすっと立ち上がって、以下のような場面が演じられたはずだ。想像してみる。

日本人男「おい異人さん、待ちなよ!ヘイユー!」
黒人男 「……?」
日本人男「黙って入ってきて、便所だけ使って出て行くたあどういう了見だい。ここは飯屋だ、公衆便所じゃねえんだぜ。挨拶くらいしたらどうなんだ」
黒人男 「(日本人男にずいと詰め寄る)アナタ、ナニカモンクアルデスカ?」
日本人男「お、おう、なんでえ。やろうってのかい。我がままを無理に通そうったってそうはいかねえぞ」
黒人男 「××××!(悪口)」

日本人男は張り倒される。黒人男は悠々と吉野家から出て行く。バイトの女の子が日本人男を助け起こす。

バイト 「大丈夫ですか?まったくあの人、ひどいことして」
日本人男「あいてて。なにこれくらい、なんてことないさ。ちきしょう、本当ならこっちが張り倒してやるところなんだが」
バイト 「いいえ。あんな乱暴者に深追いはご無用、もう充分ですよ。お客さんが言ってくだすっただけでも、すっとしました。ありがとうございます」
日本人男「へへ、何も礼なんざ言うこたねえよ」
バイト 「今、新しいお茶をお持ちしますね」
日本人男「おう。悪いね」

……寅さんだなこりゃ。そうか寅さんだったのか。「そうか」の意味がよく分かりませんが。
日本人男の台詞の合間には、他の客の「そうだ」「いいぞ」というような応援の掛け声も加わっただろう。
日本人男は僕でも良かったわけだが、このような振る舞いが僕にできただろうか?もちろんできなかった。
仮定の話としてではなく、現にそのように現実は進行しなかったのだから、できなかった。ということだ。確定済みの結果。

今はこのような美しい場面が日常に成立し得ない世の中だ。
例えば僕はなぜ日本人男のように、黒人男に注意を与えることができなかったのだろうか。
殴られるのが怖いから?そうかも知れない。たった一発張り倒されるくらいの痛みを怖れながら、弱さに慣れて生きている面がある。ただ、それだけではないだろうとも思う。
「他人に決して干渉しない」という不文律がすみずみまで行き渡り、倫理や常識からの逸脱よりも、その不文律を犯すことの方が、重い罪に見える世界なのだ。我々が生きているこの世界は。

上記の想像の場面の中で、日本人男とバイトの女の子は、共通の世界観のもとで会話を交わすことができる。
しかし今の世の中で日本人男のような行動を誰かが取っても、その行動が第三者に理解されるかどうかは分からない。共通の世界観がないからだ。
もし僕があのとき同じことをしたら、吉野家のバイトの女の子は「なにこいつ余計なこと言ってんの。まじ迷惑なんだけど」と思い、黒人に張り倒される僕を無視したかも知れない。

または、僕がそのように(バイトの女の子が「なにこいつ余計なこと」と思うかも知れない、と)思ってしまうような世の中だということ。
問題がそこに現れていると言うこともできる。つまり、人々の間にある断絶、不信、無理解。
共通の世界観があるなんて誰も信じていない。信じられないのだ。前も似たようなこと書いたな。

またはまたは、世界観はあると考えるべきなのかも知れない。つまり「無言で店のトイレを使い、無言で出て行く」ような生き方を破綻なく含んでいる世界観。「無言トイレ世界観」だ。
我々は無言トイレ世界観の中を生きている。何を是とし、何を非とするかは各自が一から決定する必要がある。それが倫理や常識の形であらかじめ存在してくれないから。
そして自分の身は自分で守らなければならない。中には弱さゆえに「是非」の基準を立てることを放棄し、ただ傷つかないこと、危険にさらされないことだけを追い求めて生きる人も出てくる。
是非の基準に従うことさえしなければ危険を避けられるからだ。ゆらゆらと波間に漂うくらげのように生きていくこともできる。
いや、「中には」ではない。みんなそうしている。僕もそうしている。

価値基準を他者に頼らず自分で立て、自分の身は自分で守って生きていく。
こう書くとすごくかっこいい、西部劇のような生き方みたいなのに、なぜこの現実はこうなってしまっているのか?
不思議だ。
ていうか自分がヘタレだったことを世間要因として頑張って分析しようとしているヘタレ文なのかなこれ?書いてから気づいた。だとすれば卑しいな。俺。
モッタイナイカラ コノママデ イイヤ。本当に卑しい。
posted by Kとかいう人 at 17:00 | Comment(2) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Posted by ボボコフ at 2009年03月12日 22:03
影の薄い客は悲惨なことになるなw
「客ですよ!客ですよ!」と大声で申告しながらトイレに入ることに
Posted by Kとかいう人 at 2009年03月14日 00:17
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無言トイレ世界観
Excerpt: ちょっと前から知人が始めたブログを見ていて タイムリーな話題があったので トラックバックのテストも兼ねて。 寅さんはともかく、この話はわかる。 「無言トイレ世界観」。 これ気に入ったから隙あらば使..
Weblog: ボボ日
Tracked: 2009-01-21 14:21

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